比較しているそのものがナンセンスなこともあります。
選択肢のリストアップのほうが比較よりも大切だと常々思います。
選択肢が妥当に出ないということは問題設定がずれているということです。
ひとりでやっているとそれが普通で見えているものなので気づかないこともありますが、伝わらないことでふと気づかされます。
右か左か、比喩ではなく、聞かれたら、どこのなんのことだよ、と聞かれるでしょう。
自転車か徒歩か車両か電車か、そもそも道のことですらないかもしれません。
一体、何を比較しているのか、なんで比較しているのか、それはなんでか、と問い詰め続けられるかをセルフチェックすることはとても有用だと、袋小路にはまっていると感じてしまっている人たちを見た時に感じました。
小人の薬を飲まなくても、壁は実は発泡スチロールかもしれませんし、実は触ると登れるかもしれません。登ってみたら右でも左でもそんなことではなかった、ということに納得してまた一つ場数がふえていくような気がします。