語弊がありますがそんな気がします。
どんな世界にも極めた人にしか見えないものがあるのだろうと感じます。
たまたま自分がITの人たちと仕事をするのでその中でもヌシ級の方々の知識はほんとに膨大で、何を聞いても即答してくれる安心感があります。
ただ、そのような方々は話す相手をとてもとても限定していて、知識を理解できなかったり、その方にとってうれしくない使い方をする人には出さないような気配を感じます。
人事評価のように、違う識能を持つ人を横に並べて順番をふらないといけない人が、わからない人の順番を低くするのをよく見かけるたびに違和感を感じてきましたが、そのルールはやはり妥当ではないのだろうと思われます。
分野が違えば違うほど辞書セットもリズムも違いますから、わからなくて当然ですし、わからないほうがある意味価値がある、と割り切った方がいいように感じてきました。
自分が分からなくても、その文化の中では正しく評価されているわけですから、それを信用して組み込んでいく方が妥当です。
ことばでつなぐことは大切ですが、ことばでつなぐこと自体はひとつの能力であって、それがなければ評価されないようにしてしまうと、わからないといわれる分野の人の士気がいまいち高まりません。
ひとであれば必ず通じる、というレイヤーは思いや感情の層であって、能力や知識という層ではないのかもしれない、と思います。