その奥に何があるんだろうかと
考えていたらふと現実受容拒否とつながってなんとなく居心地悪い感じがしました。
しっくりきすぎてです。
なんで僕私はXXできないんだろうと考えている間はそれによるデメリットから目をそらすことができるのかもしれないと感じたところです。
私がやっているようでやっていない英語の勉強やAIの勉強などありますが、なんでできないんだろうとも思わないので何が違うのかなと。
時間をほかに充てている、要はそれらよりも私にとって大切なことがあるわけです。
できないというのであればその分何をしているのか、何もしていないと当初言う方がよく見られますが、生活に一生懸命なだけかもしれませんし、それが何なのか知ったほうが傷を舐めて鬱屈とするよりも気持ちがよいかもしれません。
それをやるほど困ってないからやんないんです。だから悪くないのでそれを責めることでほかの攻撃を回避しているのであれば回避したい攻撃の裏にある弱点に手当てしたほうが幸せ直行便かもしれません。