ひとがカギだなあと思ってたりします。
プロジェクトの段取りを見るときに、それが妥当で実現できそうか机上の空論かの分岐には、その線に誰がどんなことをしてどんな面倒ごとがあって、というドラマが見えるかどうか、があるんじゃないかと常々思っています。
破綻している線を持ってくるひとは大概それを誰がどんなプロシージャでやるのか想像していないことが多いです。
知らなくても、想像するだけで段違いに精度は上がると個人的には思います。
多少ちがっても人がおりなすコミュニケーションコストは層ごとに大体一緒のような気がするのです。
まあ、どうにも仕事が段取れない対象をどうしようかと悩んでるだけなんですけどね。