怒られるネタにもなるのです。
肩書き、顔たて、そんな文化があります。
そんななかでも相手を常に肩書きでなくさん付けで呼ぶので、まれにたしなめられます。
肩書きは柔軟性を排除する身近な邪魔だと感じます。
もちろん育てなければいけませんが、フルーツバスケットはうまくいきませんので適材適所ではありませんし、それゆえ助け合わなければ楽しい成果になりませんし苦しい人が生まれてしまいます。
あまり派手にやり過ぎると練度不足な人たちが間違った方向に焦り始めるので穏やかに。
私はその人と仕事をしているのであって肩書きと仕事はしません。
来歴があるかぎり肩書きでは人を表現できません。
肩書きもタグのように付けはずしが簡単にできればなあと思います。
影響しながらの牽引は時間と熱が必要です。
旨い作用点をひとつでも多く蓄えて効果的に進めるスキルを得たいです。