理解力は

解釈候補の数といいますか

理解力って五感六感が受信した刺激の解釈幅だという認識はあったのですが、さらに深化した気がします。
決めつけるなとよく言っているのですが、ひとつの解釈候補に飛びつくほどに実際と遠かったりします。
そこにリンゴがあったとして見えない側がどうなっているとかそのリンゴがなぜそこにあるのかとかまあいろいろ考えだしたらいろいろな可能性が考えられるわけです。
リンゴに限らず事象をそのように思索していくと無限の解釈候補が生成されるので大概決めつけるようなことはなくなります。
時間は有限なので次元の網羅が満たされていればいくつかの候補があれば思索は次に移らせたりしますが、複数は絶対です。
またこの解釈候補を答え合わせまでどう保持しておくかというのもワーキングメモリが有限であれば外部においておけばいいわけです。
といっているとPCの説明のようになってしまいますがチャッピーから人間は寝てる間に圧縮してメモリに乗るようになってたりするよねと言われて人間の圧縮が抽象化原則化帰納でときには不可逆であると考えるとAIの説明のようになってくるなあとまたにやりです。
連想ゲームの延長戦だと思うと大したことはないわけで、理解の定義を少しずらしたら楽に伸ばせるんじゃないかなと思ったりしました。
だろう運転ではなくかもしれない運転は車両操縦だけではないわけです。

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