教えざる罪

学ばざる罪、と返されました。

孔子さまも一隅を挙げるに、とおっしゃっておいでなのでまあそうだろうと思います。

発信側と受信側のバランスで成り立つコミュニケーションです。
私から見てまったく成立しない日本語同士で阿吽の呼吸もどきを実現するペアもいますので、そこにローカル辞書があるわけです。

教え学ぶことはコミュニケーションとは少々異なり求めることが前提にあります。受けて格納するかどうかが教え学んだ結果の直因です。

学ぶ気がなければ教えても蓄積してもらえないですが知っていてもらわないと組織が不利益を被ります。
練度判定と評価を結べばいいのにと思います。
やれば評価あがりますのにもったいないことです。

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