嘘から出た実、というのもあります。
嘘じゃない、という言い訳は大概正しいのだろうと思われます。
他の視点から見た事象との差分は、吐かれたことばの背景視点からは見えないものだからです。
とはいえ、ある視点から差分を指摘されるということは不正確であるということは否めません。
事実の描写に限り、正確な表現というものは可能で、そこに嘘と言われるものは生成されません。
嘘という指摘がされ不誠実だという評価がされるという一連の流れを減らすため
どれだけ注意深くことばを紡いでも、あらゆる視点からの指摘を免れるためには政治の世界のような抽象度と正義への従属が必要になります。
事実とは多少違う軸なのだろうと思うのです。
比較される軸が事実ではなく概念でありうるためです。
矛盾する概念が存在する以上、あらゆる概念をかいくぐることなどほぼ無理ではないかと思われます。
よって、感情軸の視点から、嘘だという指摘は、あるべくしてどうにもならないものなのだなあと嘆息が切れません。