発言するだけで疲労する

勉強になりました。

そういう場面はありますが、多分あると思いますが、というか想像できますが、普段は普通に話しているわけです。
先日「会社で年始に一人ずつ抱負を話す機会があり(略)へとへとになった」という話を耳にして目から鱗でした。

その方は共感もちでおいでなのでおそらく周囲の所感含めて感情飽和するのもあり疲労困憊になられるのだろうなあと気の毒に思われました。
共感資質は相手の気持ちを理解するというよりはイベントにより生じうる感情を豊かに想像して自分方向に向けてしまうという資質ですので実際は大して生起しない場面でも自分に共振していくのかもしれません。

この場合ですとふたつ以上の段階があって、ひとつめは発言自体の質、ふたつめは発言後の影響、なんだなあと勉強になりました。
発言自体には、内容に対する納得もありますが、言霊というか言葉に責任をもつというようなこころがけの積み重ねもあるのだろうと感じます。
言葉に責任をもつというのは、発した言葉を、どんなにさらされても、自分が発した、と言えることなんだろうと最近思います。
発言後には、普段からの評価によってボーダーが存在しますので、感想は意外かいつも通りかでしかないような気がします。
同僚との関係ができていれば人並みに=いつも以上に見せようとしている時点で生温かく見守られるものです。
自己嫌悪に陥るとすれば、人並みに見せようとして失敗したと認識して恥じ入っている本人が実は本人以上に見せようとしていたということに気づいたときかもしれません。

そんな精神活動をしていたら、疲弊するだろうなあと思いつつ、いつやるかの問題でどこかでやる話なので幼少期に済ませるか大人になってからやるかの違いなんだろうなあとぼんやり感じられました。

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