当たり前です。
のっけから斬ってます。
ご容赦ください。
今週の勝間さんのサポートメールの話題は恥です。
まあ、認知してから25年経ちます。
どう受け取られるかを想像したときにマイナスだとでると「恥」の度合いがあがるようにおもわれます。
相手が自分を理解できることは微々たるもので、それもそのものではなく疑似理解です。
逆に自分もいくら頑張っても、相手の心そのものを理解できるとは言うにもおこがましいと感じます。
疲れたときに忍びよってくる甘い言葉にわかってくれると安堵を感じたら逆に警戒してもいいかもしれません。
ただ、お互い思いやることも共感することもできて、そうしてくれることを感じることで温もりを感じます。
それが、とっても、あったかくて、ひとでよかったと感じる時間なのだろうと思います。
恥と言えばと私のこの駄文綴りのタイトルを覚えてくださってた方がいらして恐縮してしまいました。
恥じることは悪いことではなくむしろ尊いと思っています。
辱しめを与える力はうまくかわして、日々すてきな時間を過ごせますように。
「恥じることはむしろ尊い」と言うと、かえって多少わかりづらいところがありますが、「恥を知る」、あるいは「廉恥」と言うと、途端にスッと共感できるというか、頷ける感じがします。
恥じらって尻込みしちゃうと逆効果ではありますが、克己したときは強いんじゃないかなあと思われるわけです。