無辜の民

言い訳できないということなんだなとあらためて思いました。

二元戒律のころは、無辜の民が存在したけれども、民主主義においては無辜の民は存在しないというフレーズが頭をよぎって瞬きしました。
確かに、そのような解釈もあるなあと思いました。
而立を、することを幼少期に説かれましたが、昔はあれが統治層の教養だったことを考えれば納得もします。
翻って、それが都合の悪い人も居るのかもしれないと思うと、どんな仕組みでも光と影を認知して治めることは大切なのだろうと思われました。

更新情報はこちらで配信
↓ ポチおねがいします!

感想などお気軽に~メアドは公開されません~