闇夜の鍵探し

この数年で一番ヒットしているフレーズです。勝間塾で聞いていろいろなところで使っているのでまたかと思われる方もおいでかもしれません。wikiでは街灯の下で鍵を探すとありますね。

簡単に書きますと「夜、人が街灯の下でカギを探している。どこで落としたのかと聞くと向こうのほうという。なぜ向こうを探さないのかと聞くと明かりがないからと返ってきた」という「落としたところ探せよ」とツッコミたくなるたとえ話です。ブツならそうも言えますが、日々扱わなければならないお仕事についてはそう簡単にはいきません。

そもそも、そこに、それは、在るのか?要るのか?という問答が日々三省なり五省なりにおきかわって現在の自分の中で機能しています。私のような横着な人間にはひとつの簡明な疑問文のほうが日々の運用をしやすいのです。もちろん机の中の論語や十七条の憲法や般若心経はそれなりにちょこちょこ見ます。頻度の違いでしょうか。

何かしている、もしくは選択肢のそれぞれが、自分のミッションに近いのか遠いのか重要なのかそうでもないのかかすってもいないのかは、感覚的にわかります。

なんか違うんだけどやっているということは、迷子の時にはあります。でもやっぱりしっくりこなければ、そこはさっさと一時的にやめて違う正面に取り組む気がします。視点を角度でも広さでも距離でも変えるのが近道だなあと思います。
ちょっとやってみるをたくさんします。それにより、感覚も培われるような気がします。ちょっとやってみるをたくさんすることは、視点の切り替えになっていて、旨い断面を作るヒントになったりします。

できることだけをやってやった気分になってもつまらないような空虚感のような感覚があります。できないことができるようになるプロセスも結果も経験も、ひっくるめてずっと楽しいです。それが10年単位でも、断続的になっても、楽しいです。

それでも、日々「できることに陥るように」トラップがいたるところにこれでもかというほど仕掛けられています。毎日今日はちかづいたか、生産できたかと問うとガックリしてしまう日のほうが多いかもしれません。良くも悪くも後になって気づくこともあります。期間ごとに評価も変わります。

なるべくすべきことを見失わないために、毎日5年間の業務予定を眺めることにします。まだまだざっくりです。でもこれがいつか地図になって導いてくれるものになります。

書いていて「さがしものはなんですか~♪」と頭の中に浮かんできてしまいました。懐かしい限りです。夢の中で探す(踊りません)というのはアリです。この歌はなぜか夢から帰ってこれなさそうな感じがして私には怖い歌ですがシナプスのいたずらだと思ってありがたくちょうだいしておきます。

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