50%は90%に見える

これもいただいたフレーズで突き刺さっているものです。

施政者にとって、50%の支持率は90%、つまり、みんな支持している、というように感じる、という意味です。

このフレーズを頂いた機会は何かに促されるようにクリックしたプライベート勉強会です。

私自身そのような立場になったことはないのですが、そのような立場の方の補佐として働くことが多かったせいか過去に見たことはあるように思われます。

なかなか、体得も未熟ですし表現も未熟で恐縮ですが、書くことに挑戦したいです。

私が重要な判断だと考えている悩みは、主に90%だと思っていただいたほうがいいのか、50%である自覚を持っていただいたほうがいいのか、なのです。言い換えれば判断を分ける主の特性は何なのか、です。
主が施策を意思決定する判断要素をどう持っているかというそもそもの課題はあります。精鋭のブレインに囲まれていれば強いかもしれませんがブレインだと思っていた側近が実は寵愛を与えたとりまきだったということもなくはない、というかあります。独裁の場合猜疑心が強くあまり見紛わないかもしれませんので、その場合を除きます。

50%ならまだよいほうかもしれません。とりまきだけが母数だと認識してしまったら、とても怖いことです。

いつでも、意思決定するときには見落としがないかを一番気にすると思います。とはいえ、主という方々は理解者を重んじるものだなあとつくづく思います。そのぐらい孤独です。理解を示す方に肩入れしがちです。

排除施策の意思決定は組織の新陳代謝になるとは思いまずが、新しい才人を生産できなければ質が低下しただけになる可能性があって、そんななかで自分が何をできるのか悶々とする年末年始でした。そして心の整理がつかずメールを作るのは間に合わず時を迎えます。適時性皆無、自己嘲笑です。

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