所感を得たので書いてみます。
鮒谷周史さんのメルマガでご紹介がありました。
<菊池寛 形>(青空文庫に飛びます)
何とも言えない読後感です。この時期の小説には、機微なところを淡々とお描きになる風情があって、抉られます。これも文字ではありますがクレショフ効果に類するものでしょうか。
大きな壁も心持ち次第というヒントにもなりますが、それはまた別としまして。
メルマガの中で鮒谷さんは形を作らないと見えない、というご指摘をくださってます。
それもその通りと思われます。
私自身は、うなずきつつも、天邪鬼、逆に、鎧なくして私だと示す方策を考えなければならないことに思考が至ります。
常々、我々の定年が巷よりも早いという特性から定年後の再就職について職場にあふれかえるほどの話題があります。定年後でなくとも、自己の市場価値については気になります。定年後肩書をなくして知人が激減するという冷たい事実が、自分の事として警鐘を鳴らします。私を知らない場で私の居場所を作る時間はそれなりにかかります。
名を馳せれば、名が形になるので、塾長やあまた方々は既に形をお持ちでらっしゃる。
自分のような名もなき草は、その時相まみえた方に価値を見出していただく作法を持っておかなければ次のステージにはたどり着きません。
私たちにとっては形は作法であり、スペクトルの高い方々はそれは名を以て替えることができるという差が存在すると思われます。タグであり、二つ名であり、スペクトルが上がるほどに、だんだんと抽象化されていきます。
自己のスペクトルを冷静に受け入れて身にあった形を作るのだろうと、ぼんやりと思いました。
自己紹介、自己プレゼンの次の課題として、やっとマッピングできた次第です。なかなか亀の歩みです。