翻って自分

嫌なことが連続して起こるときは自分をかえりみます。

金曜日です。
規則違反をしているのに気づかなくて結果的に看過しました。現場指導しかまだできないスキルの低さです。後から言うのはハードル高いです。
時期柄、デモのかたが多いのですが、恐らく写真を撮られました。顔を背けるのが精一杯でおまわりさんがいたことに気づいたのはあとになってからです。なんに使うのか考えると多少戦慄します。

これくらいの小さいイライラですと、まったく平気なときもあれば、壁に当たりたくなることもあります。

省みると、余裕がないのもありますが、今回は風味が違い、こころに小骨が刺さっているような感じです。

最近アンガーマネジメントの記録をつけていませんが、数秒後の自分を傍目に見られるかどうかだなあと思います。怒りの感情放出を正当化することは、やはり、だめなんだというのが個人的な部分結論です。

トーンポリシング、ということばを習いました。私の的を得ない説明よりリンク先のほうがわかりやすいです。

声をあげるとこのトーンポリシングによって黙らせられる、という表現を見ると、自分が非難されているように感じます。
感情を、特に怒りの感情をダイレクトに受けることは、恐怖です。怖くない人は、逆ギレできる人か傑物と思われます。声をあげることは、恐怖を与えることが目的ではないと思いたいのですが、共感を得ることをあきらめて同じ目にあわせたいという心も、ひとですから、もしかするとあるかもしれません。
コミュニケーションは傾聴からですから、カウンセリングのように、この感情を受けることが最初のプロセスです。そして冷たい事実として、受ける力も人それぞれです。
怒りは、火事に似ています。消化可能な範囲だと確信がなければ逃げます。自分が管理して燃やしているときに制御不能になることもあります。怒りの絵が炎のことはよくありますね。

マネジメントは、必要だと、やはり、思います。だって飛び火は怖いから。

トーンポリシングは、その奥にある声を封じ込めたいという目的に対して使っている、という解釈をすることにします。聞きたいけど逃げたいときと一緒にしてほしくないからです。一緒にしてしまうと、逆に理解者を減らすことになると思われます。

小骨を表現する手がかりを見つけて、少し、柔らかくなりました。早く抜けるか溶けるかしてほしいです。意外と深く刺さっています。

更新情報はこちらで配信
↓ ポチおねがいします!

感想などお気軽に~メアドは公開されません~