時間に終わらないのは

自分の生産性はさておき、です。

確かに生産性は基本なので高生産性を目指すことで単位生産力を高めれば時間は縮みます。

連休中、2回ほど出勤しまして、世の中休みなく働いている方もいらっしゃることは重々承知しつつ、なぜ休日に休めていないのか、少し考えました。

昔の自分も休みなく働いておりました。今思うにも我ながら感心します。
身体ももちましたし、身体がもつだけの精神力もあったようです。
考える仕事もありましたが整理する作業量が半端なかったので時間を使わざるを得なかったと評価しています。
精度を求められるので集中力と集中力の基盤となる栄養休眠は必須ですが、休眠は必要最低限でしたので精度自体は最高の7掛けくらいだろうと思われます。

仕事はタスクでなりたつとして、タスクの性質には時間モノと成果モノがあり、成果モノには考案もの、調整もの、情報整理もの、説得準備もの、などがあるのかなあと思いつきます。
自分の仕事の対象タスクが自分の合意した範囲に収まっているか、を評価するにはこのタスクとその性質の集合体を整理するとわかりやすいかもしれません。

今回気づきをいただいたのは、そもそもタスクとして不要なものが付与されている可能性です。
以前『なぜ人と組織は変われないのか』にある免疫マップについて書きましたが、その例にある大学の話によく似ていました。今のお仕事は情報を整理して見せることが仕事ではあるのですが、「何の」情報を作るのかについては不要な範囲がたくさんあるかもしれません。本来すべき整理対象ではないもののやらないとさらに仕事が増えるつながりになっているようです。

ゴールにたどり着くプロセスを必要以上に議論することは不毛です。整理して選べば終わりです。
それをおいて、
プロセスではなくゴール自体が不要であるかもしれないという気づきは、優秀な同僚が休日になにをなさっておいでなのか見るまではわからなかったかもしれません。

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