見せるかどうかは大きな違いです。
やっているか、やらされているか、とよく言われる文化にいます。
感謝は形にしないとわからない、という冗談のような半ば事実かもしかれないしつけもあります。
やっているかは、表明しないと認知してもらえないなあ、という感想から思い出したことです。
発言は行動の裏付けがなければ信用はいただけませんが、自分がそのつもりで、実はできていないことも多々あるのかもしれません。
散々責難して席に変わっていざ主動を発揮するかと思いきや、さらにほかに転嫁している姿は尊敬できかねますが、自分がそうである可能性もあります。
文書上で「したい」という意思を書くのは裁量の感覚も必要でなかなか大変ですが、そうでなければ協力はいただけません。
さっくり書け、端的に書け、最短で書けと毎度手を変え品を変えご指導いただきます。
毎度覚悟を試されているような感覚です。
昔あのときより楽だと思える経験が助けにもなっています。
意思を伝えないと、事はできないなあと、よい言語化の気付きをいただきました。