確かになあと思いました。
これだけ音声認識が充実してくるとほぼしゃべったことが文字列になります。
とはいえ、これをそのまま場を共有しない人に見せて伝わるかというと伝わらないことが多いのではないでしょうか。
文語体は、それなりに理由があって存在したんだなあと認識しました。
もちろん文学の美しさは得難い価値だと思います。
機能として、伝える機能を強化したものという認識が表層になかったようです。
口語では音を略すだけでなく機能語も省いたりしますのでその場の空気に紛れた補完ルールがないと意味不明になります。
初見ではまずわかりませんね。
アナウンサーが滑舌はもとより、イントネーションや話すトーンを平坦にされているのもこの余波、伝わりやすさの追求、かもしれないとひとりごちてみました。