印象

里帰りして再確認しました。

このご時世、実家が近いおかげで、短時間ではありますが、顔を見に行きました。
姉は好きですが、父も嫌いではありませんが、昔は大好きだった母がだんだんと本心を吐露し始めるにつれ微妙な感じになってきました。
母もそんなに頑張ってたんだなあと尊敬と感謝はさらにゆるぎないものにはなりました。

昔の家族ですから、彼らにとって私というものは家を出るまでの挙動を持って判断されているわけです。
私にとって、彼らと生活した時間は殻を破るまでのさなぎまでの時間で、私にとって私は彼らといない時間のほうが主体になりつつあります。
今私が持っている価値観が口から出たときに、母や姉の反応を見ると、昔は違ったんだな私というものは、と感じて全く覚えがない自分と確信している彼らのギャップを知覚しました。
小学校の友達と中学校の友達と高校の友達では私像が違うのと同じことかもしれません。
友人は変化を受け入れるものですが、家族はそうでもないですので、根は確かに変わりようがありませんが、すべてがそれでは少々面倒です。

人間の記憶は変わっていくものなのでどれが事実だとは言えませんが記憶の誤差が老年時の心の隙間にもなるんだなあとぼんやりと思われました。
なかなか、難しいことです。

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