お金の話ではありません
時間は寿命で、本人の納得しない時間拘束は準殺人に近いくらいの嫌悪感を持っています。
大変なことが起こった時にパニックに陥らない準備は必要ですが、それがあったとして、です。
今はそれどころじゃない、というフレーズはあまり聞きたくありません。
反応として正しくて危険になる可能性のあるもののひとつのような気がします。
ミシンで手を縫った時に反射で手を動かして針が中にはいってしまうような感じでしょうか。
さて、必要な拘束ではないと思うもののある視点では必要なこともあります。
その視点があるので拘束を受容しつつも、違う決心者であれば違う決心だったのだろうと思うと価値観が違うのだろうなあと思われます。
とはいえ、その事象で反射的にモードに入るのは、ちょっと違うかもしれません。
根源の意味と付属の意義のご認識を教えていただこうと思います。
私が躾けられた場所では余計な人的資源の使用は無能という空気だったので余計感じるのかもしれません。