コミュニケーションの積み重ねかもしれません
相手が何をいっているのか理解することはとても大切ですが、その背景情報をどこまで深謀できるかはもっと大切のように感じます。
きまりに安住してそれが当たり前だと思い込んでいることに気づけることは僥倖です。
きまりも、とある範囲のコミュニティルールですから、実はコミュニケーションの成果かもしれません。
ですから、そこにあるきまりには、そうなった経緯と対象があり、場合によってはかかれていないのです。
陳腐化から逃れるためにはそれらの背景理由をよく推し量って今でも通用するのか評価し続けなければなりません。
同時に適用対象かどうか、よくよく理解しないと、関係ない人に押し付ける痛い人になるかもしれません。
かといってそれはこちらの事情、と隠すのもよろしくありません。
どんどん見せて、洗練されたらいいんじゃないかなと、ちょっと内気なルール運用を見ていると感じます。
もったいないですね。