対価と言っても
最近、対価という言葉をつかうので我ながら少々品がないなあと思うのです。
なかなか、評価をを定数的に出す、という作業は人の心を疲弊させるものだと思います。
対価といわないときには逆に妙な報酬をいただくものです。
先日手に入れた妙なもの、どうしたらいいんだこれ、と途方にくれつつ、なぜこれを私に、と聞くと、天下の回りもの、ということだそうで、私自身がそれをどうこうするとは思っていないようで、回すことを前提にしていたようです。
それでも、なんてものを寄越すんだと惚れた弱みでうけとりつつも実は報酬ではなくオーダーなんじゃないかとも勘ぐりたくなってきます。
それでもなんとか処理してありがとうと言われると結局嬉しいので多分このまま使われるんだろうなあと感じつつ、奇妙な体験の経験値に感謝はするのです。
とんでもない対価でした。