刺激

どうにも何もしたくない状態からのそのそと起床します。

日々の課題でも、受けているオンラインサービスでも、垂れ流しにしていたら、天の岩戸が開きます。
枯渇していたブログもあっという間に書き溜められました。
刺激を手段として持っているというのはとても大切なことなんだろうなあと心から思います。
それがあるから腐らずに、執念を実現させるため日々浮き沈みがあっても、後退せずにじりじりと数センチの匍匐であっても、進もうとできるのかもしれません。
必ず隣あり、と子曰く、です。
見えなくても、必ずいる、その人たちと肩を並べたい、という欲求は自分を保つうえでよりどころになります。

最近はもっと先を行く方々の背中が見えてしまってちょっと凹む感じもしなくもありませんが、見えたことが僥倖なのだろうと言い聞かせ、もしかしたらおこぼれがあるかもと馬ニンジンにしてみます。
自分ができないのであれば、出来る人を通して観る、何が悪い(笑)
そうしてしたたかに生きていけばいいんじゃないかなあと、開き直ります。
のそのそとでも、起きた、起きられた、起きられる自分がとても好きです。

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