ことば

取るべきは意であってことばではないですね

書くコミュニケーションのありがたいことは推敲できるところです。
話し言葉は出てしまうと取り消せてもなくなりません。
ゆえに反射速度が必要です。

話すという行為が100パーセント未満の手段であるので、解釈の主体を間違えると意を取り損ね返しを間違えます。
第3者的に見ていれば容易な問答も、自分が主体となると急にできなくなります。
気負いというのは本当に面倒な代物だと感じます。

私は精度を求められるゲームでよく気負った瞬間にエラーを発生させます。
害のないゲームもあれば害しかないゲームもあります。
主体になることで増大する処理量が何なのかおさえたら多少は楽になりそうなので少し考えてみようかなと感じました。

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