折角ブログを始めたので昔作っていたサイトの記事を出そうかと思っておりましたところ、データを整理した時に削除したということをHDDを覗いて思い出しました。
いろいろ、詰まっていたのですが、その時の判断で懐古からの脱却を企図したような気がします。
今なら当時の青い自分を見て今の自分を戒めることもできますが、その時の自分にはそれはまだ自分自身であったということかもしれません。
時の経過とともに人は違う視点に移動する。
面白いです。
お見せして笑いのねたにしていただこうかと思ったのですができずに申し訳ありません。
情報の揮発と紛失と操作は私の最もいやなことの一つですが、それでもしてしまうことがある、という戒めに。
読みたかったなあ・・・あの時の私の雑多で愛おしい悩みたち。
過去の日誌と申しますか閻魔帳と申しますか、を見ると狂おしいほど切なくなります。
とはいえ、思い出を整理するタイミングはそこここにあって、その時その時で取捨選択しなければならないものでもあります。
捨てているときの快感に勢いづいたり、取捨選択の連続に疲労したりして判断能力を低下させるようではまだまだですね。
あの時の判断は今評価するなら失敗だった、ということです。
あー、わかります。私は20代の頃、まだMS-DOSの9801など使って書いていたものをほぼ10年分消してしまったことがありまして。もう永久に読めないのですが、読みたいなあと思うのです。
その反省から、今の私のブログは、15年前の古い記事もインポートしてあったりします。
さとさん ありがとうございます。
そうなのです。妙な勢いで消さないようにします。