こころはおしゃべりする

Naoさんから紹介していただいた『はじめてのマインドフルネス』ででてくるフレーズで、妙にこころに残っているフレーズです

こころはおしゃべりする

マインドフルネスとしてはそのおしゃべりするこころをそのまま受け入れることと語られているように感じられます。

こころはおしゃべりする

着想(SF特性)持ちの私としては止めないとどこまでも飛んで行ってしまいます。
今日浮遊した数々のこころのおしゃべりからふたつほど書いてみようと思います。

〇神の手は、ブルーオーシャンか
AIの話は勝間さんの塾でもサポートメールでも取り扱われていますが、その際にどうしても私の脳裏をよぎるのは、神の手を持つ職人さんなのです。
安直に私程度でも思いつくコンピュータができないことは仕組みを組むことや芸術や感情に関することでしょうか。それができればブルーオーシャンに身を置くことができるように思われます。
神の手を持つ方は、ブルーオーシャンにいらっしゃるようにみうけられますが、分野はレッドオーシャンです。数百あるプロセスを、機械よりも間違いなくこなす、という要件を体現なさっていると認識しております。
神の手を持つまで数十年、日々の鍛練でようやく手に入る技術です。脳内ではノーベル賞と確率がかぶっております。いや、ノーベル賞よりは高いでしょうか。鍛錬の間は厳しい日々を過ごされているように思われます。
この鍛錬を昇華された方々に対して畏敬の念を隠すことはできません。

〇まるまるに恥じない
プロジェクトの成功に不可欠な要素として、実感を込めて申せることは、「そのプロジェクトと心中する肚の人間が一人以上いること」です。
GWまでうだうだしていたところですが、そういう意味では据わってきました。
という状況で、帰り道の心がお喋りしていたなかひっかかったフレーズが「まるまるに恥じない」です。
何に恥じないのか、ということも気になりますが、そのフレーズ自体に気が割かれました。
恥じない対象と自己の関係性、動機付け。アイデンティティかもしれません。帰属意識かもしれません。敬愛かもしれません。叱咤かもしれません。劣等感かもしれませんし優越感かもしれません。それらに縛られるのかもしれませんしそれらを縛るのかもしれません。
恥じないことで得られるものは何でしょう。満足感、充実感、仁義、いろいろな表現ができるかと思います。関係性の複雑さにも関わらず、これはシンプルに自己肯定感のような気がいたします。
なんとなくここに、いろいろな思索のコアの真実が隠れているような気がいたします。
とはいえ、解き明かしすぎてしまうと結論になってしまいます。仮説にしておかないとこころのおしゃべりが停滞してしまうような気がいたしますので、結論にするのはずっと先でよいのだろうと思われます。

仮説の中で生活していることを自覚していることは、とても利があると思われます。

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