取っ払いたい固定観念のひとつです。
作るのも管理するのも覚えるのも大変ですが、ついついやってしまう階層構造です。
自分だけならよいのですが、チーム、集団、組織、などなど、情報共有や認識共有のために作る何かを階層だててごみの山になるのをよくみます。
覚えられるものしか、階層定義はできません。
図書館を想像すれば容易です。
当時図書館の区分を設計した方も素晴らしいですが、今は情報区分がなくても場所表示があれば情報を探せます。ひとつの本をひとつのカテゴリにいれる必要もありません。何でこんなところに分類されているのかと地団駄を踏む必要もありません。
探すための階層ですから探すごとができればいらないのです。
階層がなければ保管の時に択一できない、選べないもやもやもなくなります。両得です。
命名規則とメタ情報の設計、それだけだと個人的には思うのですが、なかなか既存の概念から集団が抜けるには熱と力とタイミングが必要です。
S字カーブの認識もまだまだなので、何か取っ掛かりが仕組まれるまでは無意識の抵抗があるんだろうなあと思います。
今も、いろいろな件で、壮麗な伽藍風ヒエラルキを作って提示せよ、などという要求が、驚くベけんや、この私よりひとまわりも若い方から出るのですから、残念です。
人力で構成した深い階層構造は、作りたがる人には「とっても仕事をした感じ」が出て、気持ちいいのだろうと思いますが、ご指摘の通り、これを使ってものを探すのは、苦痛というほかはありません。なにしろ、「根(root)」のところで隣のアークを選んでしまうと、間違ったノードを全部探訪してはじめて「そこに情報がない」ことが判明するんですから困りものです。
反面、ものを考える時の、たとえばロジックツリーなどは、帰納的に抽象要素が把握できたり、演繹的に漏れ要素が発見出来たり、いろいろといいこともあると感じてもいます。
思考にはいいですね。マインドマップなどもそのようなものですね。
未完成なのはいいなあと思います。完成したものは嘘くさく感じます。