理解

赦しと同義なのではないかと思うことがあります。

奥方の理解を得られない、というフレーズを耳にしたときに、あれ、と思いました。

それ、もっと奥方を構ってということでは?
構っての内容がbeing having doingのどれなのかは個々事象です。得てしてbeingだと思ってしまうのは邪推かもしれません。

ことばにすればするほど、「ほんとう」から遠退くことは多々あります。

そんな時間があるなら、○○してよ、ということもあるかもなあ、という可能性を指摘してみます。

これこそ、仮説のセットの運用です。
軽くワークになりますね。

赦されていることと、理解されていることは多少異なる気がしています。
理解されなくても赦されていればいいのであれば、頑張る度合いと方向は多少違うような気がします。
その時間を認める、ということだけであれば、理解までは不要かもしれません。
相手に影響があることは、もしくはすでに影響していることに無自覚で追加する場合は、妥協点の折り合いをつける妙も大切かもしれません。

ふーん、でいいことと、フォローが必要なことの色付け、フォロー不足はすべてのブレーキ、というのが私のなかで今有効だと感じているルールです。

更新情報はこちらで配信
↓ ポチおねがいします!

感想などお気軽に~メアドは公開されません~