透明性

まあ、気にしないですよね

仕事の合間に片づけたこと、中学校の部活動の保護者への説明資料です。
1年ですが、最初が肝心なので、足で稼ぐ気がない私としては短期集中熱いれました。

私自身はまあいいやと娘の1年の時には言われるままにしておいたのですが、(質問したつもりが問い詰めMP指定されるのも嫌ですし。)娘のおかげで説明する側に回ったのでさすがにこれは大した責任ではないにしても責任取れないし私は私ですし、ということで曖昧だった学校活動と部外活動をはっきりと紙にさせていただきました。

そしたら、まあ、なんというか、今までのずさんさが見えてしまうわけです。
普通に組み合わせていけないものはいけないのです。
そりゃ赤信号渡ったことのない人や横断歩道からそれて横断したことのない人はいないと思いますが赤信号は渡っていいと教えないのと同じ話です。保育士さんはジレンマでしょうけれど子供にそんなこと言わないでしょう。
実際していることが本則から外れているもののお目こぼしの範囲である、ということは実社会ではたくさんあります。
それでも道交法に赤で渡っていいなんて書いたらバカです。仕組むことと運用することは意味が違います。

前任も働いているので不思議でしたが、責任とる立場になったりなることを考えなければ知らないといえば済むんだろうというのも少し感じました。自分の組織にもその決まりがなぜ必要なのかわからずに盲従している人たちはいます。

それじゃ学校から寄るなと言われますわ、と率直にそれだけは言ってしまいました。
透明性、公務員ならではの抑止力でしょうか。
でもこれからの民度差とはこのような事実の層認知と事象の役割をしっかり知っていることになってくるような気がします。
対面が好きな人と言葉の不自由さとの因果をやはり穿っているところです。

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