事象から原則をよむ

そこなのかと思いました。

このときは右、このときは左、という覚え方をしているひとがたくさんの作法を覚えていることに脅威を感じます。
原則で覚えれば片手に収まるような内容を一つ一つに分解して、覚えています。
よく覚えますね、と。

話すと、その作法それぞれの理由や背景や経緯には興味がないようです。
頑なにこうなってるからこうなんです的な説明を受けます。
なので、新しい作法でも文句はないようですが、事象に対してどの作法を適用するか判断しないので前例主義でお役所仕事です。
作法を作る人も間違えますしその時の状況で文字一つ妥協しなければいけないときもあります。
大概はどうしてその作法を作ることになったのか、どうしてそうなったのかいくつかの仮説は浮かぶので、そのいくつかの考えに従ったときに事象にたいしてどの作法をどう使うか考えるべき、というのが個人的な仕事の仕方です。

作法をそのまま覚えている場合、気を付けるべきはマニュアル人間にならないことかもしれません。
いくらたくさんの作法を正しくできても、マクドナルドの従業員の時給のような限界があるかもしれません。
価値を上げるには作法のひとつ上の概念を理解するのもひとつの手段です。
作法を整えるのは管理職の仕事のひとつです。

公式を丸暗記できず公式を作って解くタイプの私には
彼らが断片的に語る何かの不文律を補完して形にして改善することは楽しいです。
逆にそれができれば作業する人よりも評価されますし、管理者と作業者の大事な取り持ちになります。
板挟みになることもありますが・・・

地元が原則を教えなくてもなんとなくわからないと馬鹿にされるような剥き出しの真っ当さを文化に持っていたので言われたことだけをしていて満足ではないまでも納得する人がいることに実はびっくりしたのですが自分の言葉が届かない結果なのかもしれないと考えるとなかなか根深そうだと感じました。

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