見ていないではなく見えていないような気がします。
久しぶりに先輩と話していてテンションが上がりました。
故郷では目端が利くことができるできないの判断基準だったようで、同郷で故郷から出た人たちはたいがい目端が利きます。
目端が利くということは、私のなかではたいがい言われる前に気づくようになっているということです。
仕事をしない人は見せても見えない、とそんな先輩が言うので、見たいけど見えなくてわからずにもがいてる若い人もいるんじゃないかな、と言いました。
郷里はそのくせ有能すぎると無意識に足を引っ張るのである意味特異な環境だったのかなあと少し思いつつ、なので郷里は好きではないけれどいとおしい妙な位置付けなのです。