私物化

公私の混同はどのレベルであっても起こりうることで厳に戒めなければいけません。

今日目にしたした事象を慮ると他人事とは思えず自らを省みます。

この年になるとこんな私にもそれなりになわばりのような自分の範囲が与えられたりできたりしてきます。
範囲の内でも外でも関係する方々がなんらかの活動をします。
ベン図の集合体ですので完全に重なるものではありませんがそれぞれの活動範囲は混交します。
自分の範囲と申しますのはその中で、自分が統治する範囲のことです。
上級者からの間接統治がある場合もありますがそれはまた別の機会に。

統治する立場の人に大概は右腕左腕、ブレイン、参謀と呼ばれる側近がいます。

どんな広さであっても統治ですのでその中では統治者のルールが通ります。
どんなルールにするかは統治者の裁量で、活動する人は統治ルールとその場の成熟度を評価して活動場所にするか否かを選定するように思われます。

果たして自分の統治は、魅力のある場を目指しつつも弱者が言いたいことを言える場になっているだろうか、と。
情報統制は私にとってアレルゲンですが、自分がそれをしていたら目も当てられません。

統治者が箱庭を眺めている限り統治者という神の手による介入は距離に守られなかなか起こりません。
統治者が箱庭を散策するような統治をされている場合、統治者が箱庭の住人から危害を加えられそうになった時、果たしてどうしましょう。危害の程度によるとみなさんおっしゃると思われます。精神的な危害の場合、見えません。さて、どうしましょう。大概は特権回避するのかもしれません。側近は、統治者を守るでしょう。ただ、過保護になればそれは参謀ではなく親衛隊でありそれは統治者の存在を至上とするものであり統治を補佐するものとは違う存在だと思われます。

特権にもいろいろありますが、自治の様子が気に入らなければ介入に入る神の手、何かを思い出して少し寒気がします。
介入を恐れて何もいえなくなれば自治ではなくなり、それはみんなの場ではなく統治者の私物でありサロンです。今まで培ってきた場の魅力が衰退してしまう可能性を持っています。
普段は平和です。一見逆鱗には見えない逆鱗に触れるかどうか、それだけです。
本人の練度不足と指摘するのは簡単ですが鍛錬の場だと紹介されて錬成のためにその場にいる市民にとってはどうしてよいのかわからなくなります。
それらを秤にかけると、逆鱗に触れない限りはとてもとても魅力的な市民権を失わずにいられる、という弱者としての自分の結論は利己的ですし解決にはなりません。次は自分かもしれないとびくびくしながらそこにいるのはつらいです。

私は、私にあたえられた場所を、私物化していないだろうかという自戒と、市民としてできることは何もないのかという無力感と両方の立場でぐっさりと抉り刺さった日になりました。

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