違和感の正体

次の一歩の方向でした。

もう4年以上お世話になっていますが、やっと言語化できました。

課題は逃避するより胸を借りるつもりでぶつかっていくタイプです。苦労は買ってでもした方が後々の自分を嫌いにならない可能性が増えるからです。念のため申し上げておきますと、猪突猛進ではありません。やり方は考えます。

事象に遭遇した時の対応は、課題か制約かの判断と、課題の場合にぶつかるか避けるかの判断の二段構造という認識です。
課題はコントロールもしくは取り組みが可能なもの、制約は取り付く島もないもの、という区分です。
この段構造を整理することなく制約事項と回避処置を混同していたことに気づきました。

制約事項は機が熟すまで待つしか基本的にありません。放置はしません。彼我の状況は常に変化しますので光が差す瞬間を捕捉できればそれに越したことはないです。

間接的になにかできることは制約ではなく課題とします。
冒頭申し上げたように、課題であれば何かしたいです。全部できるほどの能力はありませんので優先を付けることになりますが、取り組まないわけではありません。タスクの解放待ち状態です。

よく記事に避けるという話がでてきてそれをしていいのだろうかともやもやしながらそれを言い訳にしそうになっていたのですがすっきりしました。課題を避けるのはやっぱり嫌です。課題を避けると解釈できる文面をみることもありますが自分との姿勢の違いなので気にしません。その分やったもん勝ちです。多少挑発的な表現で恐縮ですが、おさきに、と笑顔で追い越せばよいと思われます。

制約事項かどうかの判断は、とても幅があります。取り組めるかどうかは当人の能力に依存するからです。私自身は諦めが悪くしつこいので制約事項だと判断するまでに相当の分岐を経ます。その手前で制約に舵をきるのを見ると「まだできることあるのでは」という違和感がうまれます。当人にとっては妥当な判断の場合も多々ありますので勝手な違和感です。今までの認知では二段目の課題をするかしないかの分岐をしないと選択することが違和感の対象だと勘違いしていたので妥協とひとくくりにしていましたが誤りでした。

能力がアップすればコントロール範囲は増えますし、増やすためには挑戦することが必要だと思われます。能力アップしたいです。

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