婉曲の癖

そのままを言うのは難しいようです

アサーティブということばがよく聞かれます。
事実をそのまま言うのは難しいようです。
まず、自分が認知していることを理解していないことが多いです。
次に、認知していることを指し示すことばが出てこないことが多いです。

ファシる、というか発言を解釈しやすいように言い換える役割がよくあります。
その人が言いたいことと言っていることの差分を補います。

最近あった事象では、Aという意見にBという意見を返したところ、Aという意見に至った背景を返される、ということがありました。
言いたかったことは、Bという認識はない、ということなのだろうと感じたので確認したところ是でした。
他の事象では、上司が後輩に関係者との下調整は終わっているかという意味の大丈夫なのかと聞いて後輩が規則は守っているという意味の大丈夫ですと答えて、どの部署の誰とはいつ話したのか答えたらと口をはさみました。
横でそのようなすれ違いで会話が長引くのはイライラするのです。
なぜ自分が彼らの大丈夫の意味がとれるのか、文脈から分析しているのだろうとは思いますがまだルール化できるほどでもありません。
女性は非言語を読みやすいとは聞きますがどうでしょう。

錯誤が命取りになる現場では、より直接的で具体的でそのものを指し示すより短い言葉が命をつなぎます。
ですので婉曲も使えなければなりませんが直接も使えなければいけないのです。
とはいえ、そんな現場を想定していなければ磨かれないだろうなとも思います。

ボールが飛んでいったら出る言葉でいえば、危ない、ではなく、しゃがめ、飛べ、左に避けろ、という違いです。
その言葉の選択差の蓄積なのだろうと思われます。

冷たいと言われることがまれにありますが、事象に温度がない限り、冷たいのであれば多少の事実にたどりついているのかもしれません。

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