記録とは

小学校のころからこだわっていて、なんでこんなに執着するのだろうと思っていました。

カミングアウトしたのはごく最近3年以内の事です。記録に異常な執着があることに何かの課題で自分の興味の方向にふと気づいて勝間さんのコミュニティで書き込んだら意外とウケたので、売れるんだと認識した次第です。

最近同僚に記録をしてもらうのに、記録にもいろいろな要領があるなあと思って、なんで自分がそのやり方にこだわるのか、この前書類づくりの要領をまとめていたら降ってきました。

とにかくすべて書き記すこと、学校のノートから研修仕事今でも、とにかくすべて書き記すことにことのほかこだわります。
それは無駄だと思ってしない人もいれば、記録速度が追い付かない人もいるのでなんで自分はこうするんだろうと思うわけです。

今のところ、それは「非言語情報の復元」というキーワードで少し説明できるのかなあと考えています。
公式な会議の場合の議事録は、言葉によるやりとりで合意や決定などの結論が出ますので、その文化に長けた方が要旨(要約ではなく)を作っていただければ情報授受のすべては記録できます。あとでそれを読む方々は情報を確認するために読むので、そこで登場人物たちの心境や事情などは興味の外ですので、記録する必要性は低いと思われます。
私が主宰する会同はそのほとんどが公式な場の手前の手前の手前の・・・(略)なので、最初は何が何やら参集者の利害関係の整理やら陳情やらリスク分析やらとにかく何するのという混沌から始まります。整理するまでの手数を減らす努力はしたいので、なるべく再燃や同じ会話は減らしたいです。混沌のなかでそれを可能にするには、言葉の情報授受のみでは不十分で、交わされた非言語情報が復元できないと不参加者に伝わりませんし、揮発して情報が逃げてしまいます。参加者は言葉のプロではないのでさらにです。利害関係者が多くなるほどこの記録の価値は時間圧縮と労力軽減の観点からとても高いもので、混沌としたプロジェクトにおけるこのような記録はとても価値があります。
と整理してやっと、そもそも非言語で得ている情報を認知してかつ言語化できなければ書けない、という事実にやっと気づき、腑に落ちました。

最近は会同ごとにあのときのあれをどう読み取るか、ということを話すのが私の中での育成のひとつの科目になっています。

更新情報はこちらで配信
↓ ポチおねがいします!

感想などお気軽に~メアドは公開されません~