スラックというようです。
余裕がないと何事にも視野狭窄に陥りますが、陥っていることに気づくイベントに恵まれることはあります。
以前同僚がその当時とても働いてらした方のメールがつっけんどんで気に入らないと言っていて、私はその方が好きなのでちょっと残念に感じました。
子供ふたりいてほぼひとりで地域サポートを受けて仕事も時間で必要最低限といいつつ他の人ふたりぶんくらいをきっちりこなすのは凄まじい生産性ですごいと思うのですが、追い付けないとやっかみたくなるのも人としてあり得ます。
そんなこともあって、メールには気を付けているつもりでしたが、先日自分の下書きを見て愕然としました。まだまだです。
そして、今日、昼休みのミーティングが終わったあとに、となりの職場の上司の方が、年賀状を持ってきてくださいました。お礼を言って受け取って1秒、何日か前に連絡があったにも関わらず、なんで取りに行かなかったのか、ありえない結果に空白の脳ミソを体感しました。まったく取りに行くという選択肢を思い付かないないまま、持ってきていただくという恐れ多い事態を招きました。葉書を手にとってその違和感にやっといつもなら何も考えなくてもできていることすらできなくなっている状態を認知したわけです。
このくらいの笑って許していただける事象で感じることができてよかったです。
余裕がないのは怖いことだと、ひやりとしました。