苦労は買ってでもしろ

益になれば、です。

勝間さんのサポートメールの話題にゲーミフィケーションが定期的に入ります。
語弊を恐れずに言うならば何でも楽しくする工夫をする、ということのように感じます。
昔私はどうにも育成系シミュレーションゲームを面白いと思わなかったのですが、今は楽しめます。
報酬の要求タイミングが子供のころはやはり短いのかなあと思います。

それましたが、その中に、「苦労をしてこそ楽しみが、や、楽をすると不幸になる、という刷り込みを排除する」というようなくだりがあり、ふと、私自身はまったくそのような刷り込みもされずに今を謳歌しているわけですが、このようなことばはたくさん聞いたし、ことばとしては間違っていないと思っていたことに気づいてあらあら、となりました。

何がって、言い古された言い回しに含まれた表現の不適切さ、のひとつです。
わかる人には苦楽という表現が言葉通りの苦労ではなくリスクであったり課題であったり自らを成長させる事柄の分岐であることがわかりますが、上っ面しかみなければそれはただの隷属作業であっても適合してしまいます。
苦労が報われる、苦労は軽減できる、などの解釈分岐を帰納しているいいまわしでもあるなあとも感じます。
世の中には万人にとって楽しくないけどしなければいけない作業というものがあり、みんなでやるか、誰かがやるかで成り立っているという事実もあります。

令和の時代の言い回しとしては微妙かもしれません。
私も口をついて出てしまうので、どういったらいいのかなあとすこし考えています。
正しく言うならば、自分の課題を正しく定義してそれに向かって楽しく邁進しているとさらによいことが次におこる、というような感じですがなんというか無味乾燥です。感情に伝わらないです。
行間も余韻もなくてつまらないのもありますが、自分自身仕事などで誤解されない表現ばかりしているのでこれからはビジネス的にはそうなるのかなあとも思います。
なんとなく、トークショーや懇親会などでの来歴疲労ではやはり苦労してよかった、という表現になるのかもしれない、とも思っています。
そのほうが感情に残るのでやはり苦労は買えという言い回しは残りそうな気もします。

書きながらいろいろ発散・派生してきてまだまだ悶々としそうです。

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