名前のないこころ

名前がついていない心の状態はたくさんあるように思います。

比喩は有効でありながら心の機微を映すにはいい感じに届きません。
それがいとおかしの世界を形成するのかもしれません。

それでも表現しようとするのはそれがとてもデリケートで繊細な琴線に近い機微の部分で、秘密に近いからこそ誰かとシェアしたいという天邪鬼な矛盾が誘惑になって手招きするからでしょうか。

共感系資質が限りなく低い私ですので、なかなかひとの心を推察するのはうまくないです。
感じ方が普通の方とずれているといったほうが近しいかもしれません。
論語漬けだったことは関係ないと思いつつ。子に人のせいにするなと叱られますね。

大切さはかわらないとわかっていても、という、恋着のようで違うものについてです。

市東良子さんのBUDBOYにそのような感情が出てきます。読んだ時にすごく沁みました。名前のつかない感情です。

「俺の心の中のお前でないと埋まらない場所」
男女間ではありません。それでは三流ラブストーリーです。

新しい人と出会って、その人の領域ができるのでしょうか、誰かの領域を奪うのでしょうか。
なくならないと考えると拡張し続けるということになります。
脳にはたくさんの領域があるので枯渇することはないように思われます。

そこまで考えて、もしかして、心って、広がるんだ、って、今更思いました。
無限です。そして何故かイメージが砂漠化という。自分の想像力のなさにため息です。ふう。

昔SRS(速読&能力開発)の通信教育を受けていた時、心を広げるという単元があったような気がします。知識としては持っていたということです。
知識と感覚と経験がオールクリアになることは結構すごいことのかもしれません。

心がほしいんです、という言葉をかつて聞きました。
心がほしい、の意味がやっと話と重なって、わかったような、気がします。
欲してほしい。そういうことなんですね。

書くとやっぱり恋着のようになってしまいますね。なかなか機微をあらわすのは難しいです。

ひとつおとなになった気がします。それでもまだまだです。

更新情報はこちらで配信
↓ ポチおねがいします!

感想などお気軽に~メアドは公開されません~