魔法が解けたときが

卒業のときなのかなあとふと思いました。

思考がグルグルしているときには遠心力が余ってスピンオフする思考があって、その思考が何かに昇華することがよくあります。さきほど飛び散った思考は「あの方はあんな方だったっけ」です。時とともに状況もバランスも変わりますので外側が変化するのは当然のことです。当時とのギャップによっては思考が路頭に迷います。

そこに以前先輩から言われた「ある集団にとっては神様、ある集団にとってはかたき」というフレーズが重なって、魔法が解ける、というところに到着しました。親離れも守破離も同じようなプロセスなのでしょうか。
ちょうど今週の課題は思い込みを外す、というものだったのも影響があったと思われます。

親として子供が小さい時の躾はある意味軸の洗脳ですので、本人たちの軸が完成すれば仮の軸は昇華するか補足の軸になるんだろうなと思います。自分が育つときもそうだったように思われます。それ自体も言語化することで新たな呪となるので魔法を解きつつ魔法にかかっていくのかもしれません。

自分がかかっている魔法に自覚的になることが時を経ていくにつれて得られる結果なのかもしれません。
知らぬが仏ということもあります。知って後悔することもなくはないですが、毒を食らわば皿までです。

おそらくは魔法が解けたことで、変わることがあるのだろうと思います。なるべく禍根を残さないように進めたいなあと思います。少々がっかりしたところで過去にいただいた恩に変わりはありません。
先日会ったとても賢い友人に「確かにそれはしたことないね」と言われるようなことをしているのであれば、難しいのは当たり前ですし、できないことに腹を立てている場合ではなく、できる人になるか、できる人を探し続けることに注力すべきなのだろうと思われます。

子供たちはどんな軸を作っていくのかという視点で眺めると楽しみではあります。

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