エンディングノート

最近よく聞きますね。書かれましたか?

19から死生観についての教育を受けました。
精神的なものが主体です。
心理学や哲学の方も履修されるかもしれません。
エンディングノートは物理的な事務手続きを円滑にするための情報を書き留めることが主軸ですね。

個人情報と引き換えに無料でいただけるので持っています。
完成品は結構切り込んだプライベートノートになるような感じがします。
書いていません。
書かなきゃです。

・・・プリンタを出して印刷して挟んだら終わりかもしれません・・・(汗。
いや、それだとわけわからないので丁寧に・・・いつやろうかな。大晦日が候補ですね。
先日きりの良い日を締め切りにするのはよくないと友人にいったところでそれもどうかと思われます。
こういう情報はアップデートが難しいですね。いつ増えたか記録しないと差分がでませんのでいちいち照合をかけることになり続かない原因になります。

ノート自体は項目が網羅されているので準備すべき情報を整理できていいです。
欄の多少があるので個人的にはやっぱりパソコンで書いてプリンタ・・・のほうがいいんじゃないかと思います。
項目を知りたくていただいたので、目的達成すればいいのです。
省エネするならリンク集にしてしまうというのもありですね。このページの内容は上から何番目の引き出しの緑のノートに書いてある、など。アップデートの容易性を重視するほうがうまくいきそうな気がします。

ひとつ、はっきりしていることは、基本的に自分の死体処理は配偶者だけでお願いしたいというところ。
(法に抵触しない要領で処理していただく以上の事はしてほしくない、という意味です。)
葬儀しなければ遺影いらないですよね。別に化けて出てきません大丈夫です多分自信はありませんけれど。
実家は曹洞宗でそれなりに愛着がありますが嫁ぎ先は(嫁ぐという概念もあまりしっくりきませんが)法華宗のどこかだったような、でも私自身はどちらかというと古事記の神さまのほうが好きなのです。名前を漢字で書けるほどではありません。
(まったく希望しませんが)葬儀にしても子供も親も知人もいてほしくないなあ、という感じです。(順当にいけば親はいないはずですね)特に仕事関係者は友人でも敬愛申し上げる方々でもいてほしくないですね。

19から、見送ってきた結果、30くらいから現在にかけてはそんなことをぼんやり思うようになりました。考えが変わったら記事をアップデートしないといけないですねぇ・・・。こんなはずではと草葉の陰で叫ぶことになってしまいます(笑)。できれば身辺整理してからあちらがわへ行きたいものです。

書いていて小骨が引っかかるような感覚を覚えます。この考えが感情制御特にアンガーマネジメントの話とつながっている可能性を疑っているからだと思われます。直観なのでいつわかるのか見当違いなのか全く想像がつきませんがまた未知である自覚ができたという収穫です。

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